龍馬とお龍の苦労 2009年6月24日

 資料を調べていると目的外の面白い記事を見つけることがよくある。例えば以前『東京市史稿 変災編』で薩摩藩邸のことを調べていると、江戸城が火災になった記事を見つけた。火災の原因は大根畑から出た火が飛び火したらしい。「は?なぜ大根畑から?」と思うと可笑しかった。
 今回は結婚式の参列者の服装について調べていると、土佐藩の法令の中に面白いものを見つけた。「17・8歳までに女の子は結婚させなさい」で始まり、「未婚の女の子が村にいれば庄屋たちが世話をしなさい」とある。そして「空しく男女が地域の中にいないよう、普段から指導しなさい」と規定されている。
 さらに、「夫婦は人のはじまりにて、大切なる事にて、自分勝手に結婚してはいけない。仲人を入れて、双方の親が納得した上で縁組みし、これを氏神様にも告げ、村近所にも伝え、吉日を選んで婚礼するように」とあり、「親しくなって密かに通い合って、そのまま連れ添い、妻とするのは犬猫同然の交わりである」と書かれている。そして、「人と生まれては人の作法を知らざれば人に非ず、形は人なれども心は畜生に同じ」とまで書かれている。何もそこまで言わなくても・・・と思う。
 これを読んで「これでは龍馬とお龍は苦労しただろうなぁ」と可哀想でもあり、可笑しくも思えた。現代では受け入れられる二人の結婚だが、土佐藩の法令では、犬猫同然・畜生と同じ、となる。慶応元年9月9日の手紙で、乙女に必死でお龍の紹介をする裏にはこういう事情があった。また新婚旅行の手紙が半年以上経って出され、しかも乙女だけに宛てられているというのは、おそらく乙女だけが理解者だったのだろう。服装も考え方も現代的な龍馬は、結婚も現代的で苦労していたようだ。龍馬の死後、お龍が坂本家とうまくいかなかったのも、結婚の仕方に原因があったのかもしれない。