京都土佐藩邸関係資料について

京都土佐藩邸関係資料

【購入までの経緯】

元の出所は明らかではない。大方は一まとまりで最初の古美術商に売られたようだが、分散して売られたものもあり、京都の歴史研究家の方が買い戻して現在の点数になった。その分散した資料の分布から、元々は滋賀県内で売りに出されたものではないかと推測される。当館は平成20年6月に京都国立博物館から資料の情報を頂き、高知県になんとしても県が購入するべき資料だと伝えた。そして、平成21年12月初めに購入が完了した。

【資料の年代及び点数】

嘉永7(1854)年~慶応2(1866)年 〈 ペリー来航の翌年~龍馬暗殺前年まで 〉 574点

【資料の性格】
  • 京都土佐藩邸の探索方の資料。京都に集まる諸藩の関係者から情報を収集したり、土佐藩士や脱藩者などが関連した事件の情報を、幅広く集めた資料群。
  • 幕末当時は、大きな事件の情報は「瓦版」や「風説書」などで町人も知ることができた。しかし、今回の資料は、関係者から事情聴取したものや、本人の供述書などが多く含まれており、事件の真相に迫ることができる資料が多数ある。
  • 事件などは、当然本国の土佐へも報告されるが、今回の資料群は、本国へ送る前の下書き段階のような物も含まれており、事件の真相が正確に分かる。新発見や今までの謎を解き明かす内容が多数出てきそうで、大変貴重。
  • 京都や大坂の土佐藩邸資料はあまり残っておらず、どういう活動をしていたかはほとんど分かっていない。それを少しでも解き明かすことができる資料であり、大変興味深い。
【特記事項】
  • 寺田屋事件の報告書2通
    tosahan-kyotohantei1.jpg
    龍馬たちを襲った伏見奉行所が、襲った翌日(1月24日)に京都所司代(桑名藩)へ報告した記録。第1報は昼頃に書かれたもので、4行目に「坂本龍馬所持書類写取奉差上候可然御取斗奉願候」とある。龍馬の持っていた書類を写し取って、報告書と共に所司代に提出したということだ。所司代が関わっていたことは今まで取り上げられることはなかった。しかも、24日の夜7時から8時の間に書かれた第2報では、肥後守の兵と奉行所の手勢だけでは薩摩藩邸へ踏み込んでも成功は覚束無い、と書かれており、会津藩(京都守護職・松平容保=肥後守)の人員まで出ていたことが分かる。桑名藩と会津藩は、現代の幕末研究者が、「一会桑権力」と呼ぶように、有力幕府方勢力である。桑名藩主の松平定敬は、会津藩主の松平容保の弟で京都所司代を担当し、京都守護職の兄・容保と強力なタッグを組んで、志士らを取り締まった。龍馬の捕縛も単なる伏見奉行所の襲撃ではなく、その上役である京都所司代・京都守護職が関わった大捕物だったことが分かる。
    通常、寺田屋事件は、龍馬の手紙と長府藩士・三吉慎蔵の日記によって知られている。
  • 池田屋事件関係者の供述書
    土佐を脱藩した野老山吾吉郎が、長州藩邸に逃げ込み、供述した内容。通常、野老山は直接池田屋事件に関係していたかどうか不明の人物である。池田屋事件直後、新選組の検問に引っかかり、乱闘を行った後、長州藩邸に逃げ込み割腹したと伝えられている。
    この供述書は、割腹する直前のもので、かなりの長文。野老山も池田屋事件に関わっていたことが分かる。また、なぜ新選組の検問に引っかかったのかも詳しく書かれている。池田屋事件に対する見方が変わる可能性のある資料。
  • 第二次長州征伐に関する資料
    京都土佐藩邸の探索方が、幕府方最前線で戦っている小倉藩の家老から手紙をもらって、情報収集に努めていることが分かる。幕府の第二次長州征伐は、多くの藩が否定的な見解を持っていた。土佐藩は16代藩主豊範の妻を長州藩からもらっているが、幕府に反抗するつもりはなく、非常に微妙な立場。土佐藩は幕府から大坂方面の警備を任されており、状況次第では出兵も有り得るので、様々な情報を得ようと試みていたことが分かる。
    また、京都には他藩の藩邸もあるため、常日頃から交流を行い、情報収集をしていたことが分かる資料もある。
  • 土佐勤王党関係資料
    tosahan-kyotohantei2.jpg
    勤王党の弾圧以後も、京都に隠れ住んでいた岡田以蔵は、京都で捕まり無宿者鉄蔵として投獄された。その以蔵に対する罪状を記した文書があり、大変貴重。以蔵は吟味の末、二条の紙屋川の河原で放免されたが、直後に京都土佐藩邸の役人に捕縛され、土佐へ送られた。藩邸では、以蔵の罪状文と共に、放免の情報を手に入れていたと考えられる。
    その他、勤王党弾圧に関する資料が多数ある。いずれも上士側から見た内容で、「勤王党憎し」という視点から記述されているため、大変興味深い。
  • 明保野亭事件の資料
    明保野亭事件の真相を示す貴重な資料。明保野亭で会津藩士が誤って土佐藩士・麻田時太郎を刺した事件がある。不思議な事件で、刺した会津藩士も刺された麻田も切腹した。刺された麻田の切腹理由は、逃げようとして腰の辺りを刺されたため、武士の恥だということで切腹、と伝わっている。しかし、今回見つかった切腹前の供述書では、再三名前を名乗ったとあり、これが真実ならば、明らかに会津藩士に非があることになる。そして、他の土佐藩士にこのことが知られると、会津藩ともめる可能性があるため、切腹させたというのが真相と考えられる。
  • 御門規則等の資料
    tosahan-kyotohantei3.jpg

    「御侍中御門制」など、藩邸詰めの侍の生活が分かる大変面白い資料が20点近くある。「御侍中御門制」は各身分によって門限を記してあり、門限を過ぎると罰則もあった。さらに、「御門出入改帳」もあり、誰が何時に藩邸を出て、何時に帰ってきたかをチェックしている。

  • 調練関係資料
    tosahan-kyotohantei4.jpg
    藩邸でも有事に備えて西洋式調練を行っていたようで、法令や隊列を示した文書、銃砲の調練、陣立を示した資料がある。手裏剣の調練を示した資料などもある。
    また、出席表も残っている。調練は大変厳しかったようで、欠席届の文書が27点もある。しかし、何回か休んだ者には罰則が与えられたようで、大変面白い。
  • その他
    脱藩志士らに関する文書や、幕末に全国各地で起こった事件などの情報が多数有る。
    また、世間に出回っている「風説書」が集められたり、他藩の人と、祇園の料亭を使った時の割り勘請求書のようなものまである。

京都土佐藩邸関係資料収蔵報告

【記者発表】

日時/2009年12月15日(火)10:00~11:00
場所/高知県立坂本龍馬記念館(講義室)
内容/高知県が、坂本龍馬の寺田屋事件関連資料等の詳細が把握できる京都土佐藩邸関係資料(全574点)が発見されたことを受け、予算化し購入が完了したため収蔵報告(記者発表)を行います。
説明/高知県立坂本龍馬記念館 館長  森 健志郎
高知県立坂本龍馬記念館 主任学芸員  三浦 夏樹
土佐山内家宝物資料館 館長  渡部 淳

【一般報告会】

日時/2009年12月23日(祝・水)
報告会:11:00~12:00 資料見学10:00~11:00/12:00~13:00
場所/国民宿舎「桂浜荘」(高知県立坂本龍馬記念館隣接)
説明/高知県立坂本龍馬記念館 主任学芸員  三浦 夏樹
土佐山内家宝物資料館 館長  渡部 淳

※資料概要等の資料は当日配布いたします。
※寺田屋関連資料の初展示は来年7月半ばからの「薩長同盟」展で行う予定です。