中浜万次郎・船出の地(宇佐湾)

◆土佐市荻岬
◆県交通宇佐行、荻岬下車、徒歩2分

中浜万次郎・船出の地案内板中島信行誕生地より猿喰橋へ引き返し南へ左折し、道なりに3.3キロほど進むと宇佐湾に出る。そこを西へ左折し1.3キロほど行くと左手に広場があり、一段高く改良土佐節の記念碑がある。その脇にハマユウの長い葉に囲まれて白い案内板がある。「筆の丞(改め伝蔵)ジョン・万次郎ら漂流出航の浦」の案内板だ。宇佐はその地形から天然の良港で、古くからカツオ漁業が盛んで、土佐カツオ節生産の中心地だ。藩政期には藩の保護も受け亀蔵節は有名だ。
案内板はいう。「宇佐の漁師で船頭の筆之丞、弟の重助と五右衛門、隣家の寅右衛門、幡多郡中ノ浜(土佐清水市)から働きに来ていた万次郎ら五人は、天保一二(一八四一)年一月五日、この浦の西浜から延縄漁(はえなわりょう)に出た。翌々日足摺沖で操業中突然強風が吹き出し嵐となり、帆は破れ櫓は折れて船は海上をさまよい、数日後無人島(鳥島)に漂着した。」以来12年間の異国の生活が記され、そして「伝蔵兄弟は漁や他国往来を禁じられ、藩から扶持を受けて神妙に暮らしたが、万次郎は一躍幕府の役人に取り立てられ、その新知識は日本の開国に向けて大きく貢献した。数奇な運命に翻弄された伝蔵たちであったが、この浦から船出した漂流者によって、近代日本の夜明けをもたらした。」と。

宇佐の港は土佐湾奥の代表的漁港の一つ、今も漁港は弓状に湾曲した海岸のほぼ中央部にある。今日もエンジンの音を残して大洋へ船出して行く数艘の漁船が宇佐湾あった。

<万次郎中浜出奔の逸話>
「ふと臼の中に砂礫を混ぜて搗くと早く仕上がることを考えつき、家人に黙って悦に言って台柄を踏んでいた。ところが、折悪く見回りに来た主人に見つかり、”粉末ができて品が下がる”と大目玉を食らってしまった。仕事にかけては利発で、素直な少年であるが、腕白盛りのことで”わしが考えてやりよるがやに”と咄嗟に台柄の上で反撥してしまった。”主人に向かってその様はなんだ”とかんかんになって怒って、追いかけてくる主人を尻目にすぐ近くの真浜まで走り、そのまま冬の海へ飛び込んで逃げてしまった。小鼻の碆を越えて大浜まで逃げ、折よく大浜の港で魚揚げをしていた高岡郡宇佐浦西浜の徳右衛門さんの持ち船(長さ8メートル余、2丁櫓のカツオ船)に今までの事情を詳しく話し、彼を捜して大浜まで来ていた親戚の人を通じて、母の許しももらって、この船のかしぎとして乗り組むことになった」