龍馬の愛刀「吉行」

坂本龍馬の愛刀「吉行」について詳しく知りたいと考えています。
「吉行」についてですが、刀剣の本などには載っていると思いますが、とりあえず高知県人名事典(高知新聞社 平成12年発行)に載っているものからご紹介します。

吉行(1650~1710)刀工、通称、森下平助。吉国の弟として慶応3年、摂津国住吉に生まれた。成人ののち大阪の刀工・初代大和守吉道の門人となる。
やがて陸奥守の受領名をいただき「陸奥守吉行」または「吉行」の二次銘を切った。元禄年間土佐に招かれて鍛治奉行となる。現在の高知市仁井田に田地を与えられて住み、現在のはりまや橋に近い東種崎町(ひがしたねざきまち)の仕事場で刀を鍛えた。吉行の刀は新刀銘尽後集に「刀鋒鋭利南国新刀の冠たり、作は地鉄(ぢがね)細やかに匂い(におい)ありて上手なり」と評価されている。特に丁字刃の名人で直刃や涛欄刃などもあり、切れ味は土佐の刀では最も優れていた。龍馬は慶応2年12月、先祖のものを持って死に臨みたいと手紙を書いて、この刀を兄権平(ごんぺい)に頼んでゆずりうけることになった。権平は山内容堂と会うため土佐を訪れた。西郷隆盛にこの刀をことずけて、西郷は中岡慎太郎らに頼んで龍馬のもとに届けた。慶応3年3月頃からこの刀を大切にもって居たと見られ、龍馬はその喜びを慶応3年6月24日、兄権平宛ての手紙でも「京都の刀剣家が褒めてくれる」と伝えている。

つねに持っていたこの刀は暗殺された時、床の間にあり龍馬はそれを取って応戦。さやをはらう間もなく相手の刀をうけたが、さやに食い込んだ。敵の刀の先が龍馬の額を切り、龍馬は先祖の刀をもって息絶えた。