酢屋十代目 2006年2月23日

慶応3(1867)年、龍馬は忙しかった。
1月、長崎・清風亭での後藤象二郎と胸襟を開いた話し合いから始まり、2度目の脱藩罪赦免、「海援隊」改組、いろは丸事件と交渉、「船中八策」、薩土盟約、イカロス号事件、大政奉還、「新政府綱領八策」、そして、暗殺…。
そんな6月24日、龍馬は3通の手紙を書いている。権平、乙女・おやべ、望月清平宛の。この日、「船中八策」の提案も終わりホッとしているのか、龍馬は早朝6時から手紙を書き始めた。中でも乙女・おやべに宛てたものは5メートルに及んでいる。(当館で現在、全面展示中)。
書き出しには「今日も忙しき故薩州やしきへ参りかけ、朝六ツ時頃より此ふみしたヽめました。当時私は京都三条通河原町一丁下ル車道酢屋(すや)に宿申候」とある。
小さな文字で綴られた三行にある龍馬の状況。この三行に込められた時代と人々、その思いを、人生を賭けて大切に守り続けているのが、龍馬没後140年の今なお「京都三条通河原町一丁下ル」に住まいし、創業以来280年材木商を営み続ける「酢屋」である。
酢屋十代目当主、中川敦子氏の講演会が、高知市のホテルで行われた。和服姿の中川さんが出て来られた瞬間、ため息のような拍手が起こった。裾さばきに京女の気概があった。
龍馬ら海援隊の面倒を見た六代目酢屋嘉兵衛以来、「才谷さん」のことは誰にも言ってはいけないという言づけを守り、今や若者の町として、夜の繁華街として賑わう町で、当時と同じたたずまいで暮らす酢屋さんの生き様に、聴衆の拍手は大きかった。
小柄な中川さんだが、先祖から受け継ぐ誇りと気概は大きい。筋を通しながら、相手を見るまなざしは優しい。学ぶことの多い方である。
歴史は名を残さぬ人々の気概によって、連綿と続いていく。

※酢屋は「ギャラリー龍馬」も主宰。京都にお出かけの時、是非立ち寄ってみられては…。
http://kyoto-suya.co.jp/