北の大地・坂本直行(2) 2006年4月2日

坂本家の居間に、赤いベレー帽をかぶった直行(チョッコウ)さんがいる。長男・登氏が描いた小さなデッサン画である。その白髪交じりのヒゲを生やした晩年の直行は、欧米の人を思わせるほりの深い風貌をしている。それは芸術家の顔であり、刻まれたしわは長い開拓農民時代を物語っている。
同じ居間には、小品だが力強い冬の日高の油彩画がかけられている。奥さんのツルさんは「これはサインが入っていないので、まだ仕上がっていないのでしょうね」と言う。直行の絵を原野から発掘し、世に出した彫刻家・峰孝氏の小さな直行ブロンズ像(頭部)も、本棚の上から居間を眺めている。
アトリエの直行の写真の前には、いつも花とお茶がある。「私たちは宗教を持たないので、どうやって亡くなった人を祀ればいいのか分からないけれど、こうやってお花やお茶だけは欠かさないようにしています」「坂本家は熱心なクリスチャンで、直行も若い頃には教会に通っていました。でも、やることがたくさんあって、教会に行く時間がもったいなくなったようです」「開拓時代、生活に追われてお墓参りどころではなかったんですよ」「直行は新聞記者たちに龍馬のことを聞かれたら、この部屋に逃げ込んでいましたね」。澄んだツルさんの声が響く。
アトリエには、ツルさんが「この絵が私は好きなんですよ」という冬木立や、新緑の日高山脈の油彩画がかかっている。大作の秋の日高山脈もある。そして、若い日の直行が微笑むパネル写真と共に、龍馬や祖父・直寛、父・弥太郎らの写真が並ぶ。
ツルさんは、かつては六人の子どもたちや夫と共に過ごした大きな三角屋根の家で、89歳になろうとする今も一人暮らしをしている。一人暮らしを続けながらも、この家には子どもや孫、ひ孫たち家族の賑わいが、どこかしこに感じられる。
原野での厳しい開拓生活をした直行の傍らには、いつもこのツルさんがいた。協働者として、子どもたちを腕に抱く母として、妻として。厳しい労働を強いられる毎日の中で、ツルさんに授けられた天性の利発な精神とひるまない生命力が、直行を支えてきたことは容易に分かる。今なお、ツルさんからは生命の健康さが伝わってくるからだ。
ツルさんと共に、今も直行はこの家に生きている。