北の大地・坂本直行(6) 2006年8月7日

北の大地にスズランの花が香る6月中旬。私は“原野”に立った。直行が開拓農民として過ごした土地、北海道広尾郡広尾町下野塚。
広大な大地に横たわる荒涼とした土地。そんなイメージは新緑に呑み込まれた。
そこかしこからコロボックルが現れそうな大きな秋田ブキや巨大ゼンマイとも思える北海道ならではの植物群。さながら高山植物を思わせる野の花々。かつて子どもたちの声が響き、開墾の鍬の音がこだましただろう原野は、今はさ緑の植物群に覆われて「夢のあと」の静けさの中にあった。
坂本一家が暮らした原野は、意外に海(太平洋)に近かった。ここから車で40分も行けば襟裳岬。私は、ずっと前、森進一が歌っていた「襟裳岬」でしか知らない場所だが、歌謡曲からでも最果てを思わせる場所だ。
「一週間ぶりの太陽を見ましたよ」と言うのは、広尾町教育委員会の杉本課長と辻田係長。一緒に参加してくださった直行研究家の上田さんの表情も明るい。
さわやかな大地に太陽は眩しかったが、周辺にあるだろう日高の山々はガス(霧)に覆われていた。大きく周辺をガスで覆われて、目の前の新緑は反ってくっきりとして見える。20代半ばの直行が、北大山岳部先輩の野崎さんに誘われて入植した野崎牧場(現・今井牧場)も、遠くの風景をガスで隠していた。
原野の風景を撮ることが目的であっただけに残念な天候だったが、海から押し寄せるガスが、この痩せた大地に植えられた農作物を容赦なく襲った状況を私に教えた。坂本家の喜びが悲嘆に変わる自然を思った。
辻田さんの案内で行った、直行の愛した楽古岳も私たちに容易に姿を見せようとはしなかった。
そんな原野での坂本家を昭和34(1959)年の暮れに訪ねた一人の人がいた。帯広千秋庵、現・六花亭製菓(株)創業者で名誉会長の小田豊四郎さん。豊似駅から5キロの雪道を歩いて訪ねた小田さんを直行は温かく迎えた。昭和35年1月から始まった十勝管内の子どもたちにおくる児童詩誌「サイロ」誕生の時である。
小田さんと直行の出会いは、多くの子どもたちの未来につながった。つい先日、小田さんは直行と同じ所に逝った。一人の歴史が、大きな歴史の中に入っていった感慨がある。心よりご冥福をお祈りいたします。