独り言 2006年11月8日

土佐弁にこんな言い方がある。「よーせん。」標準語にすると「出来ない。」という意味になるがニュアンス的には少し弱い。何か修飾語が欲しい。「どうしても出来ない。」と言ったほうが近い気がする。だからと言って、「絶対に出来ない。」というわけではない。そこには何パーセントかの可能性が含まれているような気が私はする。こういう風に標準語に直すと微妙なズレを感じる言葉が土佐弁にはいくつもあると思う。

祖父母の時代に話されていた土佐弁が私たちの世代では、ほとんど使われていない言葉も少なくない。時代の変遷と共に言葉はもちろん変化して行くし、高知県内でも地域によって異なる表現もある。

先日、ノーベル文学賞の発表があった。フランツ・カフカ賞を受賞していた村上春樹氏に期待が寄せられていたようだが惜しくも受賞は逃した。けれども村上氏の作品は、欧米やアジアなどの30を越える言葉に翻訳されており、現代の日本人作家として海外で最も広く読まれている作家の1人だそうである。
方言1つを標準語にするだけでもニュアンスの違いが生じてくるのに、ましてや異国の言葉に翻訳される労力の蓄積ともなると、まるで言葉への果てしない冒険のようである。

本来ならその言葉の意味する深さや表現は、その国の言語で理解するのが最良なのだろうけれどそれにも限界はある。それならば、少なくとも自らの想像力を出来る限りたくましく膨らませ、言葉の意味する世界を理解したい。

言葉が持つ意味の重要性と想像力の希薄さを改めて考え直す昨今であった。