京大所蔵の龍馬書簡 2006年12月9日

現在、直行展に合わせて、京都大学付属図書館からお借りした長府藩士・印藤聿(いんどうのぶる)宛ての龍馬直筆書簡を展示している。この資料は、高知県内では初めての展示である。慶応3(1867)年3月6日に書かれたこの書簡には、「蝦夷に新国を開くことは積年の思い、一生の思い出で、一人になってもやり遂げるつもりだ」と熱い思いが綴られている。
龍馬の蝦夷開拓には様々な思惑が含まれていた。まず一つには、京都に溢れている浪人に働く場を提供すること。このことは、京都の治安維持にも繋がる。龍馬が連れて行こうとしていた浪人について、勝海舟は日記に「過激輩」と書いている。幕府方が新選組や見廻り組を使って「過激輩」を力で制圧しようと考える中で、龍馬は誰も殺さず、お互いの利益になることを考えていた。そして、蝦夷の開拓は、諸外国から狙われている日本を守ることにも繋がり、国家のためにもなる。さらに、蝦夷には色々な産物があるので、それらを大都市で売れば儲けることもできる。まさに一石四丁の龍馬らしい案だった。
これに対して直行の北海道開拓は方向性が違う。直行は純粋に北海道日高の自然に魅せられたのだ。大好きな百姓仕事をしながら書きためた絵には、直行の自然に対する温かい眼差しが感じられる。開拓の大敵である柏の木に対してさえも、ヒコバエ(切り株から生える芽)の美しさに心奪われる。開拓を行いながらも自然を愛し、敬意を払い、自然の保護を考える人であった。
龍馬は印藤宛ての書簡に、「万物の時を得るをよろこび」という言葉を書いている。すべての物が時を得て喜び合えるような開拓をしたい、という意味だが、この考え方は直行にも相通じる。龍馬も直行も自分の利益だけを考えるような人ではなかった。開拓の狙いは違う二人だが、開拓に対する姿勢は不思議と似ている二人だ。
それにしても、龍馬はよく風邪をひく人だ。この書簡も病床で書いているようだ。それに対して直行は頑強な体だった。この点は龍馬と違う。