龍馬の海 2007年7月6日

『竜馬がゆく』に代表されるように、龍馬は作家たちによって生き生きと描かれ、読者は目の前に龍馬がいるかのごとくに感じることができる。実際、記念館に来る人たちの大半は、そういった龍馬にあこがれてやってきた人が多い。
名随筆『奥の細道』にしても、フィクションがちりばめられていることによって芭蕉の世界や人生観が後世の人々に語りかけてきている。虚像が真実をより真実として伝えることができるということを芭蕉は計算していたのだろう。私はフィクションの力を信じる一人であるが、歴史学の観点から見るとちょっとずれていることもある。
今、この秋に開催する「樋口真吉」展に向けて、少しずつ調査を始めている。樋口真吉研究者・南寿吉さんとともに進める作業の中で、虚であった龍馬の土佐での時間が少しずつ見えてきたように思う。事実はフィクションよりも面白い謎解きかもしれない。
若い龍馬は、幡多・中村に住む樋口真吉や、義兄・高松順蔵らに“日本”を視点に入れた理論を学び、身につけていた。そういった確信が生まれてきた。土佐の国の西と東に若い龍馬に大きな影響力を持った人物がいたことに、私は今ちょっと興奮気味である。
龍馬の足跡をたどると、龍馬のジャンプ台としてこの土佐という地が不可欠であったことに気づく。龍馬を育てた土佐という土地が誇らしくなる。
近頃私が出かけた龍馬、真吉、順蔵らゆかりの風景の中には、必ず海があった。龍馬と真吉を結ぶ中村・四万十川河口の下田と、伊豆・下田の海。順蔵さんの家からはかつて眼下に安田の海が広がっていたのだろう。
記念館から見る風景にも、夏色の海が広がってきた。海の向こうに龍馬が見える。