黒潮に乗った龍馬と真吉 2007年12月9日

樋口真吉は幕末、自らの使命を全うすべく地道にひたすらに生き、病に倒れた。龍馬との接点もいくつかあるが、これはほかの誰にも代わりようがない巡り合わせのようにも思える。真吉もまた幕末という激しい時代を生き抜いた男の一人だ。そして、当館でまもなく終わろうとしている「樋口真吉」展の開催以前にはほとんど知られることのない人だった。
樋口真吉のことを樋口一葉の関係者だと思っている人がいたり、「ひぐちまきち」と呼ばれたり。(まあ、これはあながち違うとも言えないが、ご子孫がしんきちと言っているのでやっぱり違うのでしょうね)。出身の四万十市庁舎でも「それは誰?」という声が聞かれるような人物だった。そんな真吉のことを今回の企画展を通じて、少しは知っていただけたのではないかと思っている。
維新から140年。龍馬がいなくなってからもまた…。140年前というのはずいぶん昔のような気もするが、その上に積もる時間はまだ薄いベールのようなものじゃないかな。真吉の残した記録を見ているとそんな気持ちが強くなる。龍馬も万次郎も慎太郎も半平太も藩主も門弟も、真吉の記録から見ればそれぞれが幕末ドラマの配役だったようにも思う。もちろん真吉自身も。さしずめドラマ全般にかかわるナレーターのような役だろう。
真吉の文武両道は長刀と勤王日記『遣倦録』に象徴的だが、もうひとつ忘れてならないのは彼の人と情報のネットワーク。信頼のおける真吉の人柄と多くのメモが、時空を超えて人をつないでいく。真吉の資料を通じて、今回の企画展は新しい動きを生み出した。
静岡県下田市。勝海舟が山内容堂に龍馬脱藩赦免を請うた場所・宝福寺を中心に市民の方たちが下田にいた龍馬を探し始めた。真吉や海舟、寺村左膳らの記録を手がかりにして。太平の眠りを覚ましたペリーやハリスゆかりの場所で龍馬が動き始めている。
黒潮でつながる伊豆下田と四万十市下田。潮流に乗って太平洋から四万十川を遡り真吉の眠る土生山に、龍馬の最新情報が運ばれてきている。そんな風のささやきが聞こえてくるようだ。

「樋口真吉」展は16日(日)まで。