当館について
About us

館長あいさつ

高知県立坂本龍馬記念館は、土佐に生まれた幕末の志士・坂本龍馬に関する資料を収集・展示し、近代日本の黎明に生涯を捧げた坂本龍馬の業績を顕彰するために、平成3年(1991)11月に開館しました。

以来、記念館は、龍馬ファンが繰り返し訪れる施設として、また高知県の観光スポットのひとつとして、広く親しまれてきましたが、施設の老朽化への対応と調査研究機能や展示のさらなる充実に向けて、平成28年秋から新館の建築と本館の改修が行われ、明治維新150年にあたる平成30年4月に、新しい坂本龍馬記念館として生まれ変わりました。

龍馬の「柔軟な発想」、「世界に目を向けた見識」、「果敢な行動力」などを、次代を担う新しい世代に引き継いでいくという創館時の使命を果たすべく、職員一同今後も邁進してまいります。
龍馬ファンのみならず、高知を訪れる多くの方々にご来館いただき、さまざまな展示を通じて「龍馬スピリット」に触れ、体感していただくことができれば幸いです。

高知県立坂本龍馬記念館長 髙松清之

記念館の概要

沿革

昭和59年9月
龍馬生誕150年記念事業実行委員会発足(翌年1月募金活動開始)。
昭和62年3月
坂本龍馬記念館の設計を公開競技とすることを決定。
昭和63年9月
設計競技最終審査。最優秀賞に高橋晶子氏(横浜市)が決定。
平成3年10月
「高知県立坂本龍馬記念館の設置及び管理に関する条例」制定
平成3年11月
開館(15日)
平成26年7月
「坂本龍馬記念館リニューアル基本構想」策定
平成28年10月
坂本龍馬記念館新館建築工事着手
平成30年4月
新館完成、坂本龍馬記念館グランドオープン

記念館の立つ場所―浦戸城跡―

記念館の建つ場所は、戦国時代の長宗我部氏の城であり、江戸時代に土佐に入った山内氏が居城とした浦戸城跡です。
浦戸の名が初めてみえる文献は、紀貫之の「土佐日記」です。土佐国司として4年の任期を終えて京に帰る貫之は、「大津より浦戸をさして漕ぎ出づ」(承平4年(934)12月27日)、「浦戸より漕ぎいでて大湊をおふ」(同28日)と記しています。浦戸は平安時代から海上交通の要衝でした。
戦国時代には長宗我部元親(1539~1599)が一時は四国をほぼ制覇しましたが、天正13年(1585)8月、豊臣秀吉の四国征伐に降伏します。以後、土佐一国の領有を許された長宗我部氏は、秀吉に命じられ、九州攻めや、朝鮮攻めの戦などにも参加します。戦の時は、この浦戸からも大勢の長宗我部兵が出陣しました。
天正19年(1591)、元親は居城を岡豊城から浦戸城に移します。慶長4年(1599)には元親が京で没し、四男の盛親が家督を継ぎます。しかし翌年、関ヶ原の戦で西軍として戦った盛親は、合戦後徳川家康に陳謝しますが許されず、領国を没収されました。
一方、この関ヶ原の戦で東軍についた山内一豊(1545~1605)は、その功労として土佐を与えられます。慶長6年(1601)1月に浦戸に入城し、慶長8年(1603)8月に新しく築いた大高坂城(現在の高知城)に移るまでの間、ここを居城としました。浦戸城は戦国時代から江戸時代初期にかけて、長宗我部氏の城であり、山内氏の城でもあった、ということになります。
浦戸の近くには、龍馬の目を広く海外に向けさせた川島家や中城家などもあります。太平洋に向かって開けた浦戸は、土佐の海の玄関であるとともに、龍馬たち幕末の土佐に生まれた志士たちにとって、大海原に続く"夢の入り口"だったのかもしれません。

建物概要

敷地面積 9,997.56㎡
建築面積 新館1,085㎡ / 本館1,210㎡
延床面積 新館2,025㎡ / 本館1,944㎡
構造 新館:鉄筋コンクリート造一部鉄骨造 地上2階地下1階
本館:鉄筋コンクリート造・PSケーブル吊り下げ鉄骨造 地上2階地下2階
各部用途
新館:地下1階 倉庫
1階 受付、ホール、シアタールーム、事務室
2階 企画展示室、常設展示室、ジョン万次郎展示室
本館:地下2階 展示室(幕末写真館)
地下1階 図書コーナー
1階 ミュージアムショップ
2階 展示室(幕末広場)、海の見える・ぎゃらりい
中2階 休憩コーナー