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りょうまについて

泣き虫龍馬
(江戸に行くまで)

坂本龍馬は、江戸時代の終わりごろ、1835年に土佐藩のお城・高知城の本町(高知市上町)で、5人兄弟の末っ子に生まれました。本家は「才谷屋」というお金持ちの家で、分家だった龍馬の家もお金持ちでした。子どものころは泣き虫だったとも言われています。3歳年上の乙女ねえさんとは仲がよく、大人になってからも、龍馬は乙女ねえさんによく手紙をだしています。
14歳のころ、近くの日根野道場に入門し、剣術のけいこを始め、どんどん剣術のうでをあげていきました。

龍馬、江戸に行く
(剣術修行、黒船をみる)

19歳になって、龍馬は、さらに剣術の腕をみがくために、江戸(今の東京)の千葉道場にならいにいきます。(現代での「留学」のようなものです。)ちょうど、この年に、アメリカからペリーという人が、黒船4せきをひきいてやって来て、日本に開国をせまってきました。そのころの日本は、外国との交流をほとんどしていなかったので、その対応にとてもこまりました。龍馬も、土佐藩の仕事で海岸をまもりにいきました。
その1年後に、龍馬は土佐にもどり、画家の河田小龍に会い、外国のことを教えられ、海外に興味をもちはじめます。

龍馬、土佐藩をでる

自分の考えで、自由に行動したい、と考えた龍馬は、28歳のときに、許しをもらわずに、土佐藩をでていきます。もう一度江戸に行った龍馬は、アメリカに行ったことのある江戸幕府の役人である勝海舟に出会い、世界に目をむけた考えをもつ勝に感動し、弟子にしてもらいます。勝が神戸につくった海軍操練所で船の動かし方など、たくさんのことを学びます。龍馬は、勝の弟子になったことを自慢する手紙を乙女ねえさんに出しています。

龍馬、亀山社中をつくる

龍馬は31歳のときに、日本で初めての商社ともいわれる「亀山社中」を長崎につくります。のちの「海援隊」です。この会社では、ものを運ぶ仕事などでお金をもうける一方、外国語の勉強や船の動かし方なども勉強していました。
龍馬は、この会社で、世界のいろいろな国と仲良く商売をすることを夢見ていたのです。

龍馬、薩長同盟を成功させる

このころの日本は、外国からねらわれていました。龍馬は、日本を守るには、日本を強い国にかえる必要がある、と考えました。それは、江戸幕府にかわって、朝廷が中心となって政治を行う、新しい国をつくることでもありました。そして、そのために、強い力を持ち、おたがいに仲の悪い薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)に手を結ばせ、徳川家を中心にした世の中(江戸幕府)を終わらせようとしたのです。

龍馬、新婚旅行にいく

徳川家を中心とする世の中を終わらせようとする龍馬は、危ない考えを持つ人物だとねらわれるようになります。そして、京都の寺田屋という宿にいるときに幕府の役人におそわれ、大けがをします。この時、役人が来ていることを知らせて、助けてくれたお龍(りょう)さんと結婚し、薩摩の温泉に旅行に行きました。これが、日本で初めての新婚旅行だとも言われています。

龍馬、「船中八策」を考える
(船中八策~大政奉還)

龍馬は、江戸幕府がなくなった後の日本の仕組みも考えていました。土佐藩の船「夕顔」の中で、8つの案を考え、平和的に新しい日本をつくる提案をします。これらの案は、後の人々によって、船の中で考えた8つの案という意味で「船中八策」とよばれるようになります。
この考えが徳川家にも受け入れられ、1867年10月、江戸幕府の15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、政治を行う権利を朝廷に返すことにしました。江戸幕府はなくなったのです。

龍馬、星になる
(暗殺)

江戸幕府がなくなり、新しい国ができはじめた1か月後、龍馬は誕生日の11月15日に、京都の近江屋というかくれ家で、中岡慎太郎といっしょに何者かにおそわれ、なくなってしまいます。土佐を脱藩してから5年間のかつやくで、世界でかつやくするという夢が実現できる直前のことでした。