企画展
Exhibition
「龍馬の知恵袋・福井藩」展
終了しました
「龍馬の知恵袋・福井藩」展
会期(【前期】2020年12月26日(土)~2021年2月14日(日)【後期】2021年2月18日(木)~2021年4月4日(日) )
幕末の福井藩は、16代藩主松平春嶽を筆頭に有能な人材を多数輩出しており、重要な藩の一つである。その春嶽と15代土佐藩主山内容堂は深い交流があった。そして、龍馬にとっても福井藩は知恵袋的な存在であり、三岡八郎や政治顧問として招かれていた横井小楠らとの交流がのちの龍馬の国家構想に大きな影響を及ぼした。
そこで、前期は容堂と春嶽の交流を中心にそれぞれの藩の家臣団を紹介すると共に、藩の政策や幕府政治への関わりを紹介する。後期は大政奉還へ向けた龍馬と福井藩の関係や、維新後に龍馬の願い通り新政府へ出仕した三岡八郎の活躍などを紹介する。
主な展示資料
- 春嶽の謙虚な性格があらわれる ー〈松平春嶽書 漢詩「我無才略我無奇」〉*前期展示
「我に才略無く我に奇無し 常に衆言を聴きて宜しき所に従ふ」という身分に関係なく、人の意見をよく聞いた、春嶽の謙虚さがあらわれる漢詩である。このような人物だからこそ、龍馬も面会が許されたのだろう。
(福井市春嶽公記念文庫所蔵 福井市立郷土歴史博物館保管) - 春嶽、親友容堂の死を悼む ー〈山内容堂追悼文 松平春嶽撰〉*前期展示
明治5(1872)年6月21日、46歳で逝去した容堂を追悼するため、霊前に捧げられた祝詞。2人は年齢も近く、親友といってもよい間柄であった。共に国のために力を尽くし、困難を乗り越え、王政復古を成し遂げ新しい時代を迎えた苦労を春嶽はしのび、容堂の功績を讃えている。
(高知県立高知城歴史博物館所蔵) - 春嶽、謹慎を命じられる ー〈橋本左内書簡榊原幸八・伊藤友四郎宛 安政5年7月15日〉*前期展示
安政5年6月19日、大老井伊直弼が日米修好通商条約の無勅許調印を行ったことに抗議するため、決められた日以外の登城を行った春嶽は、7月5日に隠居・謹慎を命じられた。橋本左内が、このことを国許に知らせたのが本資料である。「臣子之情痛嘆ニ堪兼、誠ニ血涙之至」と無念さをにじませている。
(福井県立歴史博物館所蔵) - 春嶽の先進性 ー〈松平春嶽筆「虎豹変革備考」〉*前期展示
イギリスの議会政治を模範とした二院制の議会について、春嶽が言及した非常に先進的な論述。「巴力門(ハルリモン)=上院」と「高門士(コンモンス)=下院」に分けて、上院は諸侯から選び、下院は庶民を加えてもよい、という考え方である。有能なら身分は問わない、という春嶽らしい内容。作成された年月日は不明であるが、春嶽が政事総裁職に就いていた文久2,3年の頃かと思われる。福井県外で展示されることは極めて少ない、貴重な資料。
(福井市春嶽公記念文庫所蔵 福井市立郷土歴史博物館保管) - 龍馬にも影響を与えた横井小楠の政治改革案 ー〈横井小楠書簡松平正直宛慶応3年1月11日「国是十二条」〉*前期展示
福井藩士松平正直の求めに応じて小楠がまとめた藩政及び幕政改革案。「天下の動静に関わらず、一国(藩)が独立することを基本とする」「朝廷を尊び、幕府を敬う」「風俗を正す」「賢才を登用し、不肖を退ける」「言路を開き、君臣を考えを共有する」「学校を興す」「武士や民と慈しむ」「功績があれば賞し、罪があれば罰する」「国を豊かにする」「兵を強くする」「列藩と親しくする」以上、12条。
(福井県立歴史博物館所蔵) - 龍馬、福井に行く ー〈坂本龍馬書簡 後藤象二郎宛 慶応3(186)年11月「越行の記」〉*通期展示
龍馬は3回福井に赴いている。この手紙は、慶応3年10月に福井に行った時の報告である。この福井行は後藤象二郎の命を受けたものだった。大政奉還後の徳川家のあり方について前藩主の春嶽に聞くこと、新政府の財政問題の解決策を三岡八郎に聞くこと、この2つが福井行の目的であった。龍馬は、三岡の一日でも早い上京を願った。
(秦家所蔵 当館寄託) - 三岡、参内を命じられる ー〈中根雪江他三名参朝命令書〉*後期展示
福井藩士の中根雪江、酒井十之丞、毛受鹿之助、三岡八郎の4人に対して、慶応3(1867)年12月23日12時頃、朝廷に参内するよう命令が下った。本資料はその命令文書。4人は新政府で新たな仕事に取り掛かるよう役を任じられることになる。三岡は、財政担当の「御用金穀取扱方」に任命された。
(福井県立歴史博物館所蔵) - 三岡、新政府の財政責任者になる ー〈三岡八郎御用金穀取扱任命辞令〉*後期展示
維新後、三岡八郎は新政府の徴士参与として出仕し、龍馬が願っていた財政担当である御用金穀取扱方に任命された。本資料はその際の辞令書。当面の間、学習院に仮の役所を置き、尾張藩士の林左門と他2名の4名で新国家の財政を担っていく。三岡は、龍馬が「金銀物産とふの事を論じ候ニハ此三八(=三岡八郎)を置かバ他ニ人なかるべし」と考えていたくらい、経済に強い人物であった。
(福井県立歴史博物館所蔵) - 明治政府の基本方針 ー〈由利公正筆「五箇条の御誓文」〉*後期展示
明治政府の基本方針である「五箇条の御誓文」は、まず由利公正が原案を書き、土佐藩の福岡孝弟、長州の木戸孝允が加筆修正して完成した。この書は、由利が81歳の時に書いたものである。なお、三岡八郎は維新後、祖先の由利姓に戻し、由利公正を名乗った。
(当館蔵) - 紙幣発行を主張 ー〈由利公正建白文他写〉*後期展示
金札発行について会計官から意見を求められ、実績を踏まえて答えた文書の写し。「会計ノ任スル処ハ金穀ナリ、金穀ノ用ハ民命ヲツナキ、人事ヲ自在ニスルモノナリ」から始まっている。戊辰戦争による戦費調達の必要があった時であり、紙幣の発行以外に方法はない、と主張する。慶応4年5月から全国で通用する初めての紙幣「太政官札」を発行した。
(福井県立歴史博物館所蔵)
【関連イベント】
◇記念講演会「容堂公と春嶽公」講師:角鹿尚計氏(福井市立郷土歴史博物館長)
日 時:2021年2月6日(土)13:30~15:00
会 場:高知県立坂本龍馬記念館・新館1Fホール
定 員:50人(無料、要申込、先着順)
※電話・FAX・HPにてお申込みください
◇担当学芸員によるギャラリートーク(展示解説)
①1月23日(土)②3月20日(土)各14:00~