企画展
Exhibition
「海援隊士・髙松太郎」展
終了しました
「海援隊士・髙松太郎」展
会期(2021年4月17日(土)~2021年6月22日(火) )
龍馬の甥である髙松太郎(坂本直または小野淳輔とも、現在の高知県安芸郡安田町出身)は、幕末から龍馬と行動を共にし、海援隊士となりました。維新後は新政府の役職に就いています。また、維新の功績によって郷士坂本家とは別に一家を立てることを許された〈坂本龍馬家〉を継ぐこととなった人物です。龍馬の身内でありながら、残された資料が極めて少なく、詳細が不明な人物ですが、平成29年度に関係資料108点が当館に寄贈され、特に維新後の足取りが明らかになりつつあります。本展では、箱館裁判所(箱館府)での勤務、海援隊関係者との交流、弟・坂本直寛(明治時代の自由民権家)との関係などを、寄贈された坂本直関係資料を中心に読み解き、彼を取り巻く歴史的な状況とともに紹介します。
主な展示資料
- 髙松太郎宛坂本龍馬書簡 慶応2年3月8日
龍馬が太郎に、土佐の同志・細川左馬之助(池内蔵太)をユニオン号に乗り組ませる相談をしている手紙です。宛名の「髙松太郎」は「多賀松太郎」となっています。
(竹村脩氏蔵) - 小野淳輔(高松太郎)宛R.ガルトネル英文書簡
箱館裁判所で外交を担当していた時代の文書。「裁判所」という名称ですが、現在の裁判所とは異なり、様々な政務にあたっていた役所。R.ガルトネルはプロシア国の商人。
(当館所蔵) - 坂本直(高松太郎)宛坂本直寛書簡 明治12年推定8月18日
弟・直寛からの手紙。叔母(坂本乙女)の容体が書かれています。叔母は持病に加えて脚気になり、容体が悪く、8月31日に亡くなりました。
(当館所蔵) - 龍馬宛千鶴書簡〈複製〉(当館所蔵)
- 髙松太郎・新宮馬之助・千谷寅之助宛廣井磐之助書簡(仇討ち後日 文久3年推定12月6日)(当館所蔵)
- 坂本龍馬宛望月亀弥太書簡 (年月未詳15日)(当館所蔵)
- 小野淳輔宛長岡謙吉書簡(広沢参議暗殺ほか 明治4年1月15日)(当館所蔵)
- 坂本直宛由利公正書簡(洋行前面会希望 明治5年5月4日)(当館所蔵)
- 坂本直宛丸岡莞爾書簡(龍馬15年祭 明治14年12月18日)(当館所蔵)
〈髙松太郎について〉
龍馬の長姉・千鶴と、安田村の郷士・髙松順蔵の間に生まれました。龍馬より7歳年下で、勝海舟のもとで航海術の修行をし、亀山社中、海援隊のメンバーとして活躍するなど、長く龍馬と行動を共にしました。幕末の頃から小野淳輔の名を用いましたが、明治4年に龍馬の遺跡を継ぎ、坂本直と名を改めました。
龍馬没後の慶応4年(明治元年)、太郎は箱館裁判所勤務となり、蝦夷地へ渡りました。後、東京に移り、東京府典事、宮内省雑掌などを務めましたが、免官となって帰郷、明治31年11月7日に高知で没しました。
なお、実弟・習吉は、龍馬の兄で伯父にあたる坂本権平の養子となり、名を南海男、のちに直寛と改めました。自由民権家として知られ、クリスチャンとなって北海道に渡りました
【関連イベント】
◇担当学芸員によるギャラリートーク(展示解説)
①4月24日(土)②6月19日(土)各14:00~