企画展
Exhibition
特別展「花と歴史の爛漫土佐」 第2部 月と龍馬の桂浜-坂本龍馬像物語
終了しました
特別展「花と歴史の爛漫土佐」 第2部 月と龍馬の桂浜-坂本龍馬像物語
会期(2023年7月15日(土)~2023年10月1日(日) )
桂浜のシンボルともいえる「坂本龍馬像」は高知の青年たちが力を尽くした募金活動が基となって、昭和3年に建立されました。龍馬像建立にまつわる物語を、陸援隊副隊長の田中光顕はじめ4人の人物の逸話を中心に紹介します。
入交好保、野村茂久馬、田中光顕、本山白雲・・・土佐の名士達が奔走した、坂本龍馬像建立の物語!
大正時代の終わりの頃、坂本龍馬はあまり注目されることのない存在でした。当時、何とか龍馬の業績を世の中に知らせたいと、入交好保氏ら4人の大学生達が銅像建立のための寄付を集めようと奔走しました。
その活動に協力したのが、「土佐の交通王」野村茂久馬氏や陸援隊副隊長だった田中光顕氏でした。
そして、すでに数々の偉人たちの銅像を作っていた宿毛市出身の本山白雲氏が銅像を制作することとなりました。
昭和3年5月27日の海軍記念日に、坂本龍馬像の除幕式が行われ、以来、約1世紀にわたり、龍馬像は高知県・桂浜のシンボルとして、太平洋を見つめ続けています。
本展では、入交好保、野村茂久馬、田中光顕、そして本山白雲の各氏を中心に、坂本龍馬像建立にまつわる逸話と、5月27日に除幕式が行われた由来や建立された昭和3年前後の時代を紹介します。
桂浜に建立された坂本龍馬像
第1章 「坂本龍馬像」建立をめざした人々
大正15年、早稲田大学の学生だった入交好保氏を中心とする4人の大学生らが坂本龍馬の銅像を建てようと行動を起こしたのが始まりです。そして、「土佐の交通王」野村茂久馬や元宮内大臣であった田中光顕ら各氏の協力もあり、昭和3年5月27日、肖像彫刻の大家・本山白雲氏による「坂本龍馬像」が建立されるにいたりました。
本山白雲作「坂本龍馬像」(個人蔵)
第2章 龍馬と海軍
坂本龍馬は、若いころから船海や海外への憧れを抱いていたといわれます。脱藩後は、「勝海舟に弟子入りし、海軍のことを勉強する日々にやりがいを感じている」様子を手紙に記しています。その後、龍馬の海への思いは「海援隊」につながります。
こうしたエピソードからか、龍馬は海軍構想の先輩格と考えられていたようです。
神戸海軍操練所鬼瓦(神戸市立博物館所蔵)
また、日露戦争直前の明治37(1904)年2月、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の夢枕にたち、「海軍を守ります」と言ったといわれます。そして、明治38年5月27日の日本海海戦では、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に対峙しました。以来、5月27日は終戦まで「海軍記念日」とされていました。(戦後、廃止)
坂本龍馬書簡 溝渕広之丞宛(高知県立高知城歴史博物館所蔵) 8月10日から展示(8月9日までは複製を展示)
第3章 昭和3年-龍馬像が建った頃の日本
龍馬像が建立された昭和3年前後は、どのような社会情勢だったのでしょうか。
この頃の社会の動きに大きな影響を与えた高知県出身の2人の政治家、片岡直温(津野町出身)と濱口雄幸(高知市出身)の動向を通して紹介します。