企画展
Exhibition
龍馬と長府藩展
終了しました
龍馬と長府藩展
会期(令和6年7月5日(金)~9月1日(日) )
龍馬の活動拠点、下関
下関は萩藩の支藩である長府藩に位置し、情報や物資、交通の中継地点として重要な役割を果たしていました。龍馬も、下関の豪商・伊藤九三の支援をうけ、伊藤家を拠点に木戸孝允ら同志と連絡をとりあっていました。また、三吉慎蔵ら長府藩士とも交流を深め、薩長同盟への協力を仰ぐ一方、海軍を志す長府藩の若い藩士を海援隊で受け入れるなどの、深い繋がりがありました。
こうした長府藩と龍馬の特別な関係を、龍馬の真筆書簡を中心に紹介します。
第1章 幕末の長州藩
長州藩とは毛利氏の領分で、本藩である萩藩を筆頭に、支藩の長府藩、清末藩、徳山藩、岩国領を含めた総称です。なかでも長府藩の下関は、物資や情報の中継点、交通の要衝であるだけでなく、外国船の砲撃や五卿滞在など歴史的に重要な場所でもあります。
◆八十斤長州砲復元
第2章 龍馬と長府藩の関係
龍馬は慶応元(1865)年5月以降、薩長同盟の調整役として奔走し始めます。龍馬は下関の伊藤九三宅を拠点とし、木戸孝允や高杉晋作など、長州藩の要人と連絡を取り合いました。第二次幕長戦争の際は、亀山社中を率いて下関海戦へも参加しました。
◆木戸孝允書簡 (前原)彦太郎宛 慶応元年閏(5)月19日(部分) 当館所蔵
第3章 長府藩の人々との交流
長府藩の印藤聿(のぶる)・伊藤九三・三吉慎蔵の3人は、龍馬が心から信頼した友人です。そのため、3人に宛てた手紙は、肩や肘に力の入っていない自然体の龍馬を感じることができます。龍馬にとって長府藩は、重要な拠点であると同時に、居心地の良い場所だったといえます。
◆(右から)伊藤九三・坂本龍馬ほか一人写真 個人所蔵 下関市立歴史博物館寄託
第4章 下関のお龍
龍馬は、慶応3(1867)年2月から下関の伊藤九三にお龍を預け、生活の一切は印藤・三吉両兄に相談するよう、伊藤に頼んでいました。龍馬が暗殺された時もお龍は伊藤家におり、伊藤家にもたらされた悲報を、伊藤から相談を受けた三吉、印藤がお龍に知らせました。
◆いろは丸事件の談判交渉に臨む際、「お龍を頼む」と三吉に送った遺書のような手紙
坂本龍馬書簡 三吉慎蔵宛 慶応3(1867)年5月8日 功山寺所蔵 下関市立歴史博物館