企画展
Exhibition
天誅-土佐藩の奔走-
次回開催
天誅-土佐藩の奔走-
会期(令和7年2月6日(木)~令和7年4月6日(日) )
文久2(1862)年以降、京都を中心に各地で横行した天誅事件。土佐藩の要人・吉田東洋の暗殺をはじめ、土佐と京都でそれぞれ警察的役割を担った、下横目や京都町奉行与力らの暗殺など、幕府や藩の役人がその対象となったほか、公家や浪士、商人などもその対象となりました。
本企画展では、文久2~3(1862~1863)年に起きたこうした天誅事件を題材に、これに対する土佐藩の役人および幕府の役人の動向を追い、藩政・幕政に奔走し、時に翻弄された両役人が天誅事件にどう対処し、結果としてどのように変化したのか、に迫り紹介します。
序章 概要
「天誅」とは、「天に代わって誅罰すること」であり、古く奈良時代より使われていた言葉です。尊王攘夷派の志士らはこの言葉を用い、自らの正義を貫くとして、各地で暗殺による政治活動を繰り返しました。
◆『幕末天誅絵巻 乾(部分)』(霊山歴史館所蔵)
第一章 概要
文久2(1862)年4月8日の夜、高知城下の帯屋町で、土佐藩の藩政改革に大きくかかわっていた吉田東洋が暗殺されました。東洋の事績や、暗殺を境とした体制の変化について紹介します。
◆『吉田東洋七絶詩書』(高知県立図書館所蔵)
第二章 概要
東洋暗殺後、即時に開始された暗殺者探索。この時期に起きた土佐藩に関係する天誅事件を取り上げながら、土佐藩の役人の動向と役割を紹介しつつ、暗殺者探索の顛末を描きます。
◆『幕末天誅絵巻 坤(部分)』(霊山歴史館所蔵)
第三章 概要
文久2(1862)、3(1863)年に京都で多発した天誅事件。これには土佐勤王党が多くかかわっていたことで知られています。京都で起こった主な天誅事件と緊迫した政局の変化を取り上げつつ、幕府役人による対応の方法とその変化について紹介します。
◆『宇郷玄蕃暗殺一件』(京都府立京都学・歴彩館所蔵)