龍馬ゆかりの地
Place of connection

お龍・君枝の銅像

住所 安芸郡芸西村琴ヶ浜
アクセス 土佐くろしお鉄道和食駅下車、徒歩10分

芸西村和食は海援隊士菅野覚兵衛の出身地だ。菅野覚兵衛は、龍馬やお龍のすすめで、お龍の妹君枝と結婚し、君枝もしばらくこの地に住んだ。

岩崎弥太郎旧邸・岩崎弥太郎銅像・妙見山

住所 安芸市一ノ宮
アクセス 土佐くろしお鉄道球場前駅下車、タクシー10分

周囲は竹垣がめぐり、茅葺きの屋敷を中央にして、左には三菱傘下諸会社の有志によって建立された自然石の記念碑があり、奥には土蔵群が並んでいる。天保5(1834)年に生まれた弥太郎はここで青年期を過ごした。

高松順蔵一族の家

住所 安芸郡安田町
アクセス 土佐くろしお鉄道安田駅下車、徒歩10分

高松家はかつては安芸郡では安田、東島、香我美郡は西川、東川、そして長岡郡の入野、土佐郡の梶谷など15石6斗9升の領知をもった郷士邸の面影を残している。

野根山二十三士の墓

住所 安芸郡田野町福田寺
アクセス 土佐くろしお鉄道田野駅下車、徒歩3分

元治元(1864)年7月、田野の郷士清岡道之助を首領として、安芸郡下の尊王攘夷派23人が北川村野根山に集結し、藩に対し「藩政改革、攘夷、瑞山の釈放」の嘆願書を提出した。「私たちは軽輩ながら、殿様の御恩は何よりも有難く、ひとえに土佐守様の馬前で討死にすることだけを願うものである。

野根山二十三士殉節地

住所 安芸郡田野町
アクセス 土佐くろしお鉄道田野駅下車、徒歩10分

藩権力と直接向かい合い、己の信念を披露し、死はその後と信じていた彼等を迎えたのはすでに準備されていた刑場だった。