龍馬ゆかりの地
Place of connection

須崎湾 須崎砲台場跡

住所 須崎湾 ◆須崎市 須崎砲台場跡 ◆須崎市
アクセス 須崎湾 ◆JR須崎駅下車、徒歩5分 須崎砲台場跡 ◆JR土佐新荘駅下車、徒歩10分

異国船の来航にそなえ沿岸防備のため文久3(1863)年7月から8月にかけて、東・中・西の三砲台が整えられた。現在、広さ51アール、長さ120メートルの西の台場が西浜公園として保存されている。

鶴田塾跡

住所 高知市長浜544の西
アクセス とさでん交通バス長浜桂浜方面行、長浜出張所下車、徒歩2分

鶴田塾は土佐藩の参政吉田東洋の開いた塾で、後藤象二郎や福岡孝弟、岩崎弥太郎らも育った塾だ。東洋は安政元年江戸出府中に、山内家の親戚で旗本の松下嘉兵衛に無礼をし蟄居を命ぜられた。この塾はこの蟄居中に開いた塾だ。東洋はのち安政5(1858)年には藩政に復帰し、容堂と共に公武合体路線を展開する

坂本龍馬銅像

住所 高知市浦戸
アクセス とさでん交通バス桂浜行、終点桂浜下車、徒歩4分

昭和3年5月27日は、桂浜龍頭岬上にたつ坂本龍馬銅像の完成除幕の式典日だった。海上には海軍省派遣の駆逐艦「はまかぜ」の姿があり、銅像足下には、地元44連隊中島中尉指揮下の兵士たちもいた。参列者500名の眼差しは紅白の幕落ちる瞬間に集中した。

中城家

住所 高知市種崎17
アクセス とさでん交通バス種崎方面行、種崎一区下車、徒歩2分

慶応3(1867)年9月23日(『随聞随録』)、震天丸はライフル銃千挺を積み、浦戸に入った。種崎に上陸した龍馬が一時密かに潜伏したのがこの中城家だという。

武市瑞山(半平太)旧邸 武市瑞山(半平太)の墓

住所 高知市仁井田3021
アクセス とさでん交通バス前浜方面行、瑞山神社前下車、徒歩5分

旧宅は現在個人の居宅であり、一般開放はされていない。門をくぐると前方に屋根を白く覆った平屋建がある。それが旧邸だ。坪庭の前の築地塀に沿って進み邸への中門をくぐると、小さくまとまった池や築山があり、それを築地塀が囲んでいる。